不自然さに気づくことが自然な自分へのスタートです。
例えば、
他人の目が気になってしかたがない人がいます。
他人の評価が自分の基準になる人達です。
他人の感情が怖くてしかたがない人達です。
そこには無意識にある設定によって創り出された条件づけが存在しています。
人から嫌われてはならない。
人の期待に応えなければならない。
人から愛されなければならない。
など他にもたくさんあることでしょう。
そうすると、
自分が制限されます。
いつも他人基準になってしまいますから自分基準で行動できません。
やりたいことがやれない。
言いたいことが言えない。
そのうち自分が本当は何をやりたいのかさえわからなくなるかもしれません。
それは不自然な自分です。
生物として、生命として、不自然な自分です。
もちろん自分のことしか考えられない人がすばらしいと言っているのではありません。
人はひとりでは生きれません。
でも他人に気を使うばかりで、自分が何をやりたいのかさえわからない状態を自然な自分と言えるのでしょうか?
自然はすべてがつながりの中に存在しています。
それぞれの生命がそれぞれの役割を果たすことで全体性が作られています。
個と全体性が補完し合うことで完全なバランスが構築されています。
同じように、他人を思いやって他人と力を合わせて生きることは人間の自然です。
しかし、個としての自分を見失った状態では自然な自分を生きていると言えません。
それは不自然な生き方です。
不自然であることを自覚しているから苦しいのだと思いませんか?
人間にはさまざまな条件づけが存在しています。
お金に関して。
恋愛に関して。
親子関係に関して。
人生そのものに関して。
そして自分が制限されます。
ある一定の可能性しか選択できない不自由で不自然な自分を体験します。
そういった条件づけの奥に存在するもの。
それが無意識設定です。
無意識にプログラムされた設定です。
それが基となって条件づけが作られています。
無意識にある設定は個としての体験を創り出します。
しかし全体性とつながった自然な自分を制限します。
その設定に気づくことが新しい自分へのスタートとなります。
本来自然な自分を取り戻すスタート地点です。
ちなみに、その反動として極に振れる人もいます。
「楽しければいい」
「嫌なことはやらない、見ない、近づかない」
それも不自然です。
都合の良いポジティブ思考は、都合の悪いことを抑圧して目を背ける逃避になります。
だからひっくり返ります。
極から極への反動が起こります。
不自然な自分に気づくということは、正直な自分を受け入れること
まずは正直な自分を思い出す必要があります。
本当は自分がどう感じているのかを精査する必要があります。
なぜならあまりに長い間自分がどう感じているのかを無視してきたからです。
正直な自分の声を聴こうとしてこなかったからです。
現代人の注意は外側に向いています。
外の世界を怖れるあまり自分の内側が後回しになってしまっています。
内側とは感情のことだけではありません。
感情はもちろん大切なものです。
しかし感情という志向性を持ったエネルギーに変わるその前に、トーン(音色)が存在していることに気づいてますか?
自然な自分の内側に存在する「響き」です。
自分の全体性の中に響いている「音色」です。
それは激情と呼べるほどの強い感情を感じている最中にさえ感じることが可能です。
意識して感じようとすれば。
自分の内側の「響き」を受け入れると、
自分の不自然さに気づきだします。
本来の自分との間の抵抗を、違和感として感じ始めます。